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旅立ちには花を添えよう

アニメ・ラノベ・エロゲを中心に考察していくブログ。たまに政治・時事のお話も。

ポリティカル・コレクトネスを強要してはいけない~PCの意義と問題点~

政治哲学 政治

ポリティカル・コレクトネス。政治的正しさ。PC。

その言葉を私が最初に目にしたのはアナと雪の女王だったかと思う。

ありがちな少女と王子様の恋愛から脱却して、ディズニーは新しい境地を描いた。それからというものの、政治的正しさの言葉が作品批評にくっついてきているような気がする。

togetter.com

 

「政治的正しさ」は感覚上なんとなく理解できるものの、改めてきちんと説明しようとすると難しい。一体「政治的に正しい」というのはどういう状態だろう?政治的正しさは作品批評の要素になり得るのだろうか?

まず最初に定義を持って来よう。

「事実を述べるとき、我々はcorrectである。認めることや信じることが政治的に容認できないがために事実を話さないとき、我々は政治的にcorrectである。」

"When we speak the truth, we are correct. When we do not speak the truth because it would be politically unacceptable to admit to believing it, we are politically correct."

http://www.lnat.ac.uk/wordpress/wp-content/uploads/2014/04/sample_political.pdf

なるほど。どうやら事実を話している場合であっても、政治的正しさを損なうことがあるらしい。わかったようなわかってないような定義だが、次にpolitical correctnessの用語そのものを分解してみよう。

政治的正しさの「正しさ」の部分が人々を惑わせる。「正しい」は基本justの訳語であるが、この場合はcorrectの訳語である。このcorrectというのは政治哲学でいう善(good)や正義(justice)という言葉とは毛色が違って、それ自体倫理的要素を含まない。*1 Correctという言葉には良い/悪いという要素が無いのである。Correctとは、1+1が2であることがコレクトというように、「正しい」というよりは「合っている」「一致している」という意味に近い。 以上をまとめると、「政治的正しさ」というよりは、政治的合致性という言葉の方がよりふさわしいように思われる。つまり政治的に容認できないことがなくなるように、あらゆる政治層や主流の政治層に「合致させる」という意味合いが強い。ここからPCの起源が朧げに見えてくる。

 

PC=自主規制!?

PCの起源は、大部分の政治層に受け入れられるようにするものである。例えば政治家が、policeman と言ったらどうなるだろうか。女性の警察官や男女同権論者から総スカンを食らうだろう。そこでpolicepersonというのである。つまりPCは不必要な炎上を防ぐ目的で導入されたのである。社会にはいろいろな思想信条を持った人がおり、その中でできるだけ多くの人が不愉快に思わないような表現を心掛けなければならない。これがPCの精神である。したがってPCは特定の思想信条(idea)というよりは、表現技法の道具(tool)である。これには日本のテレビ局が行う、自主規制や不適切発言防止などの炎上を防ぐ目的ですでに導入している防止措置と似ているところがある。

 

Political CorrectnessからPolitical Goodnessへ

しかし、PCは次第に思想的価値感を帯びてくるようになる。実際のところ、PCはリベラル(左派)の価値観と密接に結びついている。PCは本質的に反差別である。PCは同性愛に寛容で、多元社会に寛容で、マイノリティに寛容で、レイシズムを許さないことからも、リベラル左派とオーバーラップしていることがわかる。ここにきて、本来中立的だった「政治的正しさ」が、リベラルな価値観と共に「政治的善さ(goodness)」に生まれ変わった。

なぜPCが左派の影響を多く受け、逆に保守派(右派)の影響を受けなかったのか、これは面白い問いである。個人的な想像としては、おそらく右派よりも左派の方がエネルギーが大きかったからだと思う。既存の制度というものは、制度の良し悪しはともかくとしても、「制度がある」という事自体が正当性を生む。この制度を変えていくには、とてつもないエネルギーは必要になってくる。従って保守派の中には制度に積極的に賛成している層というよりは、「長いものに巻かれろ」的な態度の層も多い。一方で革新派は、制度の悪い点を知り、変えようとしている点でより熱意があると思われる。

同性婚の例をとってみよう。一部の宗教的な人々を除いて、同性婚に反対している人は同性婚が「なんとなく」不自然だからに過ぎない。それ自体に強い動機づけや感情は無い。しかし、同性婚推進派には、同性愛者の迫害の歴史に根を下ろした、深い悲しみと怒りの感情がある。そして彼らが、異性愛者と同性愛者が同一の権利を持てる社会のために邁進している時、保守派と推進派、一体どちらのエネルギーが強いだろうか。

同じことはあえて不適切な表現を使う場合、左派と右派、どちらがより抗議や怒りを表明しやすいか想像してみるとわかる。例えば看護師と看護婦といったときと、スパイダーマンをスパイダーパーソンと言ったとき、どちらがより批判を受けやすいだろうか。もちろん両者に批判は来るだろうが、より深い怒りが向けられそうなのは前者のような気がするのである。

話が脱線したが、ともかくPCはリベラル左派の価値観を読み込み、彼らの道具になってしまった。PCに賛成するということは、リベラル左派に賛成するということである。PCから中立性が抜け落ちたことによって、次第に批判が高まってくることになる。

 

PCから寛容性が抜け落ちる

PCは寛容だ。多元社会、マイノリティー、などに対しては。だがPCはPCに刃向うものには容赦しない。PCは差別的な言論、エスニックジョーク、政治的に議論を醸すような表現・発現を許さない-たとえそれが事実であったとしても、である。

結局のところ、PCと左派が一体化した時点で、PCは彼らの専制の道具になってしまった。Honeyford (1983:12-13)は、PCを「裏返ったマッカーシズム(inverted McCarthyism)」もしくは「リベラル・ファシズム」と形容した。*2 実際PCは、PCにそぐわない表現を規制し、発言の自由や表現の自由を脅かす恐れがある。Katzが述べるとおり、PCは真実であっても不適切な発言は自制すべきであるという意味で「全体主義的衝動(totalitalian impluse)」である。*3

現在のところ、幸いなことに、PCは発信者の自発性によってなされている。他人や政府によってPCを義務付けられていない現状では、それほど恐ろしいものにはなっていない。

 

作品とPC

では主にフィクションを描く芸術作品ー物語や小説などにおいては、PCはどう扱われるべきであろうか。作品の作り手から考えれば、PCを考慮するということは、多くの人に読んだり見てもらったりする上で、重要なことかもしれない。PCーそれが左派の価値観であれーに気を使うという事は、不必要な炎上の可能性を減らし、作品をより多くの人に受け入れてもらう上で大切な役割を果たすであろう。

一方で、作品の作り手は、PCに気を使わない、ニッチな作品を作ることもできる。そのような作品は作者の思うままが表現されているという点で面白いかもしれないが、大衆に受け入れられるかというと疑問符が付く。結局のところ、PCを取り入れるか取り入れないかというのは作者の自由裁量の中にあり、作者はPCについての倫理的責任があるわけではないことは明らかである。

最後に、鑑賞者目線で作品とPCについて考えてみる。PCを用いて作品を批判することは可能であるし、倫理的に間違っているわけでもない。作者の表現の自由は、彼が自由に著作物を制作し、発表することを保障するが、その作品の評価については何一つ保障しない。作品の批判は表現の自由の枠の外にある。従って「この作品にはPCがない」という批判は何の問題も生じさせない。

だが待ってほしい。先程からPCはリベラル左派価値観と同一だという事を述べている。それを考えると「この作品にはPCがない」という批判は実は「この作品にはリベラル左派価値観がない」という批判と同一であることがわかる。両者は原理的には同一でありながら、文言にしてみるとずいぶん毛色が違うように感じる。ここにPCを用いて批判する人のレトリックがある。PCをまるで不偏不党な、絶対的な価値基準であるかように扱うことによって、自分の批判の正当性を高めているのである。ここまで読んで下さった人はすでにお分かりであろうが、PCからは右派的価値観がごそりと抜け落ちている。つまりPCはものすごい偏っているし、断じて絶対的な価値観ではない。「この作品にはPCがない」という批判よりも、「この作品にはリベラル左派価値観がない」という批判をした方が、よりフェアであると思うし、用語が示す内容としても、より正確であるように思われる。

以上くどくど書かせてもらったが、PCが絶対的基準でない以上、全ての作品にPCを求める必要性はない。従って、作者にPCを強要することはできないであろう。

*1:私は見たことないのですが、政治哲学でコレクトという言葉を使っている文献があったら教えてください。

*2:G. Gordon Betts, The Twilight of Britain: Cultural Nationalism, Multiculturalism, and the poltics of Toleration, p.272

*3:Jonathan I. Katz, "What is Political Correctness?" What is political correctness?